アラン・パーカー監督『ミシシッピー・バーニング』

1988年作品。1964年のある日、ミシシッピーの田舎町で消息を絶った三人の若者たち。彼らを捜索すべく二名のFBI捜査官が現地へ派遣されるのだが、独立心の強い南部の地ではよそ者の彼らが歓迎されるはずもなく、捜査は困難をきわめる……のだが。という、実際に起こった出来事に着想を得て創作された社会派作品。若きエリート捜査官をウィレム・デフォーが、たたき上げ捜査官をジーン・ハックマンがそれぞれ好演してる。

この物語で描かれているのは、その土地に根強く残る人種差別意識と、そんな土地にももたらされた公民権運動気運との間の軋轢的な出来事どもで、タイトル通りというのも変だけど、とにかく燃える。というか焼き討ちしまくりミシシッピー・ジェサップ郡。
以前観たときのわたしはもうひたすらに、KKK腹立つわー!人種差別もそれを黙認してる住民どももクソ食らえ!などと青臭い憤りを感じるばかりで、では何故そういう意識がそこで根付いてしまったのかなんてことまでは考えもしなかった。今回はしっかりがっつり考えた。考えてるうちにどんどん気持ちが沈み込みそうになったけれども考えた。
町の空気はなんともいえない閉塞感というか重苦しさに満ちており、そこで生まれ育ち暮らしている女性(フランシス・マクドーマンド)は翳りのある笑顔を浮かべている。そういうことごとも多分あのとき、目にはしていたんだろうけど、何も感じなかったし、ああ前回鑑賞時のわたしは何を観ていたんだろか。と猛省するべきだわたしは。でも、こういう再発見があるから、よい作品は何度観ても楽しめるのだよな。よーし、ほかの作品もどんどん観かえそう。
おそらくまた、見落としザクザク発見しちゃうんだろうな。