仕事中にふと、ものまねタレントさんたちについて素朴な疑問がわいてきた。彼らは果たしてまね主の変化にどこまで追従していくのか、していくべきなのか、どうなのか!なんてことをひとしきり考えて、そのどうでもよさに気付いて少しうなだれた。
結局、ついていけるところまでついていきたい人は、必死でついていき旬なネタを提供するし、まね主が一番輝いていた時代にこだわる人や、まね主が既に鬼籍に入ってしまっているような場合には一時点の姿形を演ずるのだろうし、いろいろだよなあ。
つまるところ、マイコーのまねを生業にする人が必ずしも成長を義務付けられているわけではないということです。ですか。