アイザック・アシモフ『ロボットの時代』

以前読んだ『われはロボット』よりも後に起こる、ロボットがらみの出来事を描いた短編集。ロボット心理学者、スーザン・キャルヴィン(この人は人間で研究対象がロボット)も何作かに登場していて、うれしい。彼女のロボットに注がれるあたたかい眼差しがとても好きなんだけれど、あれはもうお母さんの境地だなと思う。

『われは…』では主にロボット草創期、地球以外の場所で働く彼らを描く物語が多かったのに対して、今回は試験的にとはいえ地球で彼らが働いたりする。そこで当然のように現れる人間のロボット・アレルギー反応が、最初のうちは大袈裟に感じたのだけれど、何度か繰り返し読むうちに、さもありなんというか、確かに自分よりはるかに優れた能力を持つ人間じゃない存在っていうのは脅威なんだろうな……と共感まではゆかないまでも、理解出来るようになってきた。理解できるっていうより、わたしも少しだけ怖いと思ったんだけれども。
怖さといっても支配される怖さじゃなくて。(それはロボット三原則を厳密に守ることで防げる、かもしれないからそんなに怖くない)人間が腑抜けになる怖さ。これは自分自身じゃないと防げない。
先日読んだ重松さんの本で、バンダイでロボット開発に携わっている芳賀さんがインタビューに答えていた「理想とするのはドラえもんのようなロボット」というのはまさにこれで、人間がロボットに質問をしたときに答えをただハイといって出すのではなく、「あとは自分で考えなよ」と突き放すことのできる友達のような存在ということらしいんだけれど。確かに道具として便利すぎない存在であることは大切なことだと思う。
もしかするとドラえもんは全部解ってるんだろうけど、のび太くんに任せるところはあえて任せる。ってそのさじ加減、すごいことなんじゃないかこれ。うおお。あ、でも解ってないかも。どうなんだろ。
と、アシモフさんの創造物が引き金になってここしばらく、あーでもないこーでもないと考えを巡らせている。暇人過ぎる。